警察庁の警護検証を見て
安倍元総理、護れたと思いますか?
事件直後に多くの方に聞かれました。1発目の発砲後という意味ならばそれは分りません。おそらく護れなかったと思います。発砲されるまでなら、いくつか打つ手があったし護れた可能性の高い現場だったと思います。と決まって回答をしていました。
銃器事案に限らず、襲撃動作に入られたらその犯行の成功を阻止できるかどうかは非常に不安定、不確実なので、そもそも襲撃をさせない・断念させる、ということが警護の仕事の中核なのです。
警察庁が安倍元総理殺害事件の検証及び警護の見直しに関する報告書(以下、報告書)を先日公表しました。
それについて、数点述べていきたいと思います。
2022/6/25(土) 茂木自民党幹事長~安倍元総理殺害場所と同一場所で演説
2022/6/28(火) 安倍元総理~殺害現場の最寄駅反対側の駅南口で演説
2022/7/8(金) 安倍元総理殺害
警護は0点か100点しかない?
警備・警護は0点か100点の世界だ、という人が大勢います。この言葉の意味するところは何かあったらそれは全て0点だ、ということなのでしょうけれども、100点という表現はややもすると危険な解釈へ向かってしまう気がしてなりません。
6/25と28日、何事も起こらなかったため奈良県警本部及び奈良西署では従事した警護に関し組織的な検討や評価を行っていなかったと報告書に記載されています。 100点の警護など現時点では存在しないと考えられます。警護をやれば何かしら反省検討することがあるはずです。やりっぱなしの警護では、いつまで経っても進歩しません。
もし、この事件の犯人が、前方から接近襲撃しようとし、今回行われた警護のように後方の警戒を犠牲にしたまま前方の警戒を厚くしたことによって、結果発生を未然に防いだという警護結果になっていたとしても、その警護は完成度の非常に低い警護と評価されなければならないと考えます。無能な犯人が手薄な後方ではなく、前方から襲おうとしたからたまたま阻止できた、という評価でなければならないはずです。警護を行った後の検証や考察を行わない組織では、このような場合「よく未然に防いだ、大成功だ。」しか残らず、貴重な是正の機会を逃しているということです。
6/25日は事件当日と同一場所なのに
25日の警護は、安倍元総理殺害現場と同一場所です。ただその時は例のゼブラゾーンのガードレール外側に後方警戒要員が常時配置されていました。7/8の事件時は①交通事故防止上の観点②東側歩道上(安倍元総理の前方左側)に多くの聴衆が集まってきたためガードレール内に配置換えした、と報告書にあります。
現場はデパートやショッピングモールに近接した駅前。
6/25は土曜日の午後4時過ぎ。
事件が起きた7/8は金曜日の午前11時半頃。
聴衆は圧倒的に安倍元総理の方が多かった(報告書によると6/25は約50人、7/8事件時は約300人)のはわかったが、車両の交通量の差はどうだったのだろう?
5日前と16時間前の差
6/25と6/28の演説予定は、どちらも自民党奈良県連が警察に連絡を入れたのが演説5日前で、その翌日には自民党奈良県連・奈良県警本部・奈良西警察署の三者間で現地において打合せを行っています。
それに対して7/8事件日の演説の最終的な場所の連絡は事件発生の約16時間前であった。また現地での事前打ち合わせも行われていない。
選挙ですから情勢を考えての予定変更はあって当たり前。しかし警察で指定されている警護対象者の警護と考えた場合、事前準備を行うには7/8の警護は時間的にはかなり、いや相当きついと思います。
報告書では6/25の警護を「安易に、かつ、形式的に踏襲」と記載されていますが、そもそも自民党奈良県連・奈良県警本部・奈良西警察署の三者間の打合せも行われていない、警護実施までの時間的にも切迫している状況で、警察庁はどのような警護計画書が作成できると考えているのか疑問です。
産経新聞記事にて、自民党奈良県連の荻田幹事長は、『安倍晋三元首相の応援演説が事件前日に決まったことについて荻田氏は「性急なスケジュールで無理があった」との認識を示し「主催者側も警護体制に全面的に協力しなければならないと痛感している。閣僚や首相経験者の応援演説を党本部主導で進めるなど、やり方を改める必要がある」と話した。』
警護を実施する警察と主催する側の緊密な連携は、警護実施上とても重要です。今後そういった連絡調整をどうしていくのか報告書では具体的に触れていませんが、この点は相手方のあることなので、まだ具体的に報告書に載せられなかったと思われます。今後どのようにするかは、現在調整中なのでしょう。
指摘・要望はなかった
安倍元総理本人や関係者から警察の行う警護に対して、立ち位置等の指摘や要望はなかった、と報告書に記されています。通常、警護対象者から警察の行う警護についてどうこうして欲しいという話はあまり聞きません。警護に関することは警察に任せるというスタンスの警護対象者及びその関係者がほとんどだと思います。警護を行う者として勝手な解釈かもしれませんが、何も言わない、ということは「任せる」という意味ととることもできます。
そういった観点で本事件を見ると、安倍元総理からすると、「ああ、私は護ってもらえなかった」ということになるのかもしれません。本事件は報告書にも記載されているとおり、未然に防ぐことが十分期待できた事件でした。
人員装備
現職総理と元総理では格段に警護の規模が異なります。人員装備も大きく異なります。また同じ警護対象者であっても、日程の規模や内容によってどのような警護体制で臨むか異なります。この点について詳細に述べることは差し控えますが、7/8の事件現場における人員装備について、元総理の警護としては特に少なくもなく多くもなくだと思います。問題は、警護活動の中身(警護計画の中身も含め)です。
警護とは、単に大人数であればそれで護れる、というものでは決してありません。
事件当日の人員装備でも、各警護員が基本通りの警護活動を行なっていれば十分未然に防げた可能性が高かったと思います。
ただ今後、効果的な装備資機材を開発・導入する必要があるとした報告書には違言ありません。
銃器対策
下の写真は、安倍元総理殺害事件の約半月前、6/22(水)埼玉県の大宮駅西口に安倍元総理が街頭演説に来たときのものです。銃器対策として埼玉県警が選挙カーの屋根上の手すり部分に防弾シートを設置しているところです。

防弾シートを設置した場所に警護対象者には立ってもらい、有事の際には一時的にはしゃがんでもらう、という銃器対策です。

総理大臣の場合は都道府県関係なく、このような選挙カー上の銃器対策は行っていますが、それ以外の警護対象者では、これまでは各現地警察の判断になっていました。実際、先の参議院選時に安倍元総理が選挙カー上で演説している際、防弾シートが設置されていない動画や写真が数多く見られました。
7/8殺害現場では、選挙カー上での演説ではなく、警護員の携帯する防弾カバンのみが、銃器対策として準備していた資機材だったと思われます。
報告書によれば、今後は銃器対策としては、①背面用に防護壁②全面は透明な防弾衝立③避難用の防弾シェルター等を導入するようです。

出典:東京新聞
現場における警護の問題
結局、犯人の犯行に及ぶ際の初動動作に誰も気付いていないので、犯行を阻止することができなかったわけですが、その最大の原因が安倍元総理の後方警戒の不備というわけです。この点は、警護を全く知らない人でも、「何で後ろを守ってないの?」と事件発生直後から出ていた疑問又は非難でした。
警護計画の段階ではゼブラゾーン上のガードレール外側に、安倍元総理の後方警戒に専従する警護員を配置していたが、当該警護員に対し、警護実施中に配置箇所及び役割の変更を行ったため、後方警戒が十分行われていなかったということです。
報告書では、この配置転換等についてはそれ相当の理由があったが、ならば手薄になった後方の補強をしなければならなかったとしています。この点は、その通りだと思います。
警護計画上の問題
報告書では、「本件遊説場所で街頭演説をすることに伴って警護上想定される危険に適切に対応するものとなっておらず…」 「南側(安倍元総理の後方)からの不審者の接近、違法行為等を阻止する役割を付与した警護員を相当数配置していれば…」等の計画に対する評価がされていますが、これを素直に読めば、全ての警護対象者の警護を現職総理と同等のものとすべきと読めてしまうのです。『警護上想定される危険に適切に対応するもの』とはそういう意味ではないのでしょうか。現実問題として現職総理と全く同じ体制でなくとも、これまでの警護人員を大幅に増やさなければならないと思います。
この点、大規模警察は対応できるのでしょうが、それ以外の警察本部ではどう対処するのでしょうか。人員的問題解決の裏付けは報告書には掲載されていませんでしたが、例えば隣接の警察署に応援要請し出動させる等の警察署の管轄の垣根を越えた運用ということも考えられてよいと思います。
交通規制をしない訳
事件時、安倍元総理の後方道路(県道)の交通規制は行われていません。この点、これまで選挙時の警護では交通規制を行わないのが通常です。選挙運動は公平公正に行われなければなりません。「ここなら大勢の聴衆を集められる、しかし現地の交通状況のままでは演説するのはきつい。ならば演説中は車両通行止めにすればいい。」これでは公平な選挙運動になりません。警察の警護対象者(与党議員が圧倒的多数)が演説場所の選定で有利な状況になりかねません。したがって、事件時の安倍元総理後方道路の交通規制を行わなかったことは問題ではないと思います。しかし、報告書でも指摘しているとおり、場所的なこと、また安倍元総理の演説には多数の聴衆が集まるという事情から、他の警察業務もあるのは分りますが、どうにか人員調整して交通整理として、制服警察官の配置は行うべきだったと思います。
ちなみに安倍元総理の後方道路の交通規制を行わなかった理由として報告書では、その南方向にはバスやタクシーロータリーがあり、事前周知を行わないで通行禁止等の規制を行えば公共交通への影響を含め交通上の混乱も生じ得る状況だった、としています。
SPが身代わりになるべきか
事件直後、安倍元総理の直近に位置していた警視庁のSPの警護について、「ああいう場合は警護対象者を台から引きずりおろして覆いかぶさらないといけない」とか「防弾の盾を掲げて犯人と警護対象者の間に入るんだ」などの解説をしている方がおりました。しかし、あの場合の身辺警護活動としてのスタンダードは『一刻も早くその場を離れること』です。警護対象者に覆いかぶさって道路に伏し、その場に居続けることではありません。銃口の前に出ることよりも、何よりも身辺警護員が優先すべきは、警護対象者を退避させること。動かすことです。どの様な形にせよ警護対象者を止めていては引き続き標的になるだけです。
壁を作るか退避するかの二択ならば退避。それが身辺警護員の仕事です。ただ退避する場合には、襲撃者と警護対象者との間に身辺警護員が位置するようにしなければいけません。
以下は、警護の見直しについて。
これまでいかに警察が警護訓練を行ってこなかったか、この度、警察庁が明らかにした警護訓練というものが、訓練期間のみではありますが報告書からも分かります。
しかも全警察官が報告書に記載の警護訓練を受けているわけではありません。むしろ警護訓練を受けた経験があるのは警察官全体のごく僅かなはずです。
つまり、数十人で警護に従事する場合、警護訓練を受けたことがない警察官の方が多い現場すら存在してしまっている、これまでの道府県警察のこれが現実です。
民間の警護会社の宣伝文句で、「元警察官が警護します」というものを度々目にしますが、警察官=警護を知ってる・できる、というのは間違った認識です。
唯一、実務を通じた警護技能の習得の機会として、1年間に渡り警視庁の警護課へ派遣される制度として警視庁警護指導者実務研修というものがありますが、これについての問題点は後述とします。
警察庁の警護関与
これまで警察庁が関与していたのは、①現職総理 ②外国要人の来日 ③国際首脳会合などの大規模警護、でありこれら以外は、都道府県警察に任せていた。
そこで今後は警察庁が、
警護実施上必要な情報の収集・分析・整理を行って、その結果を都道府県警察に通報する。
警護計画を作成する場合の基準を定め、作成後のチェック・修正、警護実施後の報告を求める。
体系的な実践的警護教養訓練の実施。
等を行うことが挙げられていますが、これは結局、警視庁の警護課員及びその職歴を有する警視庁職員を警察庁へ大量に出向若しくは派遣して実現する、という意味になります。この点は報告書内でも今後の体制等の強化という項目において、警察庁の現在の体制では無理があるため、「新たな所属を設置するとともに、警視庁出身者等、警護のエキスパートを登用し、警護を担当する体制を大幅に拡充する」と明記されています。
また、警視庁の警護課に研修のため派遣している道府県警察の警察官数を、大幅に増やす(派遣期間の記載はないので、これまでと変わらず1年間と思われる)としています。
警護研修生の大幅増員
警察では、道府県警察において警護活動の中核を担う警察官を、警視庁の警護課(通称SP)へ1年間派遣し警護を学んでいます。この派遣者数を大幅に増やすそうです。
これまでは年間約20人程度でしたから、県によっては数年に1人しか派遣できませんでした。この点、警視庁での研修の内容も考えた方がよいと思います。というのは、道府県警察で行う警護は主に今回の事件のような選挙時のものと国際会議のような大規模な警護になります。したがって、警視庁で行う研修も一人の警護対象者を大人数で警護する、警護計画もそのような大規模警護の作成が求められます。であるならば、同研修期間もそのような警護を行う警視庁の警護課の係での研修をメインとした内容に組み替えるべきだと思います。つまり、総理大臣の警護を担当する警視庁警護課の警護第一係又は来日要人の警護を担当している警護第三係で学ぶ期間を長くすべきと思います。
警視庁警備部警護課(SP)の大幅増員
警察で行われている警護の大部分が警視庁であり、中でも警護の専門官として毎日警護に従事している警視庁の警護課員を大幅に増強するという事項については、重要事項だと思います。報告書では警視庁SPの増員により警護現場で配置される警護員の強化を図る、としています。この報告書記載の増員理由以外にも増員されればリフレッシュな状態で警護に従事することが期待できるようになります。報告書は、この選挙期間中の警視庁SPや奈良県警本部の警護担当者の勤務時間等は一切触れられておりませんでしたが、相当な勤務時間数になっていた可能性はあります。
また警察庁が警視庁に期待する事項として、①警護のエキスパートの警察庁への出向又は派遣 ②道府県警察からの派遣者の受入れの拡充、の二点を挙げています。
結局、道府県警察で作成し報告されてくる警護計画書のチェックができるのは、警護に精通している警視庁の警護課経験者しか正しく見極めることが出来ないことから、そのような仕事ができる者を警察庁へ出向なり派遣なりして対応するということです。
いずれにしましても、警護員の養成はすぐに出来るものではありません。今回の報告書の内容が実質的に実現するには年単位で取り組まなければならないと思います。
この度の安倍元総理の殺害事件は、これまでの警護活動でも十分防げた可能性が高い事案だったと思います。都道府県によって、また現場で警護に従事する者によって、これまでは警護力に大きな差があったのは事実だと思います。報告書の内容が全て実現されればある程度改善は期待できるはずです。
形式的警護ではなく実質的警護。警護員はいつだって「この場所で何かが起こる」という気持ちで警護現場に臨まなくてはなりません。いくら体制を整えても、いくら警護訓練を積んでも、警護員一人一人がこの気持ちを維持しつづけなければ、またいつか警護対象者を失うという最大の失敗を犯すと思うのです。
官民問わず、100点の警護なんか存在しません。だから警護という仕事にいつだっていつまでも真摯に向き合いつづけなければならないと思います。